diary

とある脊損患者。両ロフストランド杖使用中。

記憶

安藤忠雄のそばにはいつも物作りの現場があった。

私のそばにはいつも自然があった。

薪割りをした。

風呂を沸かすのを見た。

竹で秘密基地を作った。

段々畑で焼き芋を作って、夕日を見ながら屋根の上で食べた。

なっているさくらんぼや金柑、びわをとって食べた。

鳥やもぐらのお墓を作った。

魚を釣った。小さい魚は海に返した。

掘りかまどを作った。

ベランダに出るといつも小さくて大きな自然が目の前に広がった。

昼は畑仕事をしている地域の人に挨拶をした。

田んぼの大変さをなんとなく知った。

水のありがたさを知った。

津波の怖さを感じた。大きな津波が来たら、実家は沈むだろう。

山に遮られて日の出はいつも遅かったけれど、夕日はいつも燃えるように赤くてきれいだった。

 

幼少の記憶を、私のこれからの人生にどう生かせるだろう。

 

結局薪割りは上手くならなかったな。こうやって少しずつ、昔ながらの技術は失われていくのだろう。なんだか少しさみしいけれど。

祖父母のように、定年後は畑や桃をやるのも楽しいかも知れない。

 

田んぼの大変さを何と無くでも知っているのは大きな財産だと思う。土を作って、水を引いて、あぜ道を作って。あぜ道を作るのは想像以上に大変だ。田んぼに注ぐ水をきれいだと思ったのは、田に水を引くのはそれだけで大変なのだと、父を見て何と無く分かっていたからだろう。

苗を植えて、機械が届かないところは手作業で。毎朝水がきちんと流れているか確認して、詰まっている所があれば直す。雑草を除く。水量を調節する。鳥を追い払うための対策をする。稲を刈る。干す。

これらの一連の流れが何と無く体に染み付いているから、田んぼがあるとつい目がいく。今はどの時期だろう。無事に収穫できますように。少し標高などが違うだけで随分と収穫時期が異なっていたりして面白い。

何事もなくそこに田んぼがあるだけで、1人テンションがあがる。