diary

とある脊損患者。両ロフストランド杖使用中。

帰省終わり。

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実家にいた頃、何を目標にすればいいか分からない時に力をくれたのが、自分の部屋を出てすぐの廊下に飾っていた「毎日訓」でした。

いろんな文章が書かれている板の中から、何と無く気に入って購入したことをおぼろげながら覚えています。

よく分からないけど、とにかく精一杯生きていれば何かは分かるだろう、という感じで。

未だに目標はできたり見失ったりの繰り返し。

今日を精一杯生きてみよう。

 

実家を発つ前に地元をぶらぶらと。どこを歩いても大抵みかんの木がある。桜も咲いていた。新しい家があったり、増築がなされていたり、昔はあったみかんの木や鶏小屋が無くなっていたり。新しい家を見て、この家を建てた人はここで生きていく決心をしたんだなぁ、と思ったり。

妹がお姉ちゃんに見えると言われたり。

少しずつ、変わっていっている。

私はどうしたいのだろう。

親と仕事をすることについては前向きであると気づいた。もし実家に帰るなら親と一緒には住みたくないかな、と初めて思った。となると実家に帰るなら結婚するしかないということで。実家を継ごうともそもそもあまり思っていないけれど。結婚相手が他にやりたいことがあるならそっちについていくだろうなぁ。そう思うくらいには、実家との距離感も感じていたり。

父母妹共通の地元の話題に、私はもうついていけない。ついていきたいとも思っていないけど、何と無くさみしくも思ったり。もし実家に帰るなら、その話題も知っていかなければならない。

私は死ぬまでに何をしたいんだろう。

何を知って、何を知らないままでいることを選ぶのだろう。

まだまだ定まらない。