diary

とある脊損患者。両ロフストランド杖使用中。

本音と建前

自分の心に反することをしない、すなわち嘘をつかない、と言うのが自分の信条だった。

しかし、建前というのはやはり必要ではないだろうか。コミュニケーションを円滑にするためのツールのひとつだ。建前の先に本音の話ができるという可能性も十分にある。建前を行えないというのは、社会に適合できていないと評価されてもおかしくないかも知れない。私自身がそう評価されていてもおかしくないだろう。

うまく立ち回るというのは、本音と建前をうまく使い分ける、ということかも知れない。それが大人だろうか。このことに気づいて私は少しずつ大人になっていくのかも知れない。そのように生きるとしても、自分の芯を持ち続けよう。自分を見失わないように。建前だけで生きていくことのないように。

 

ここに書くことはこれからもずっと本音。